== 水田孝信 博士論文 ==      [戻る]

人工市場シミュレーションを用いた金融市場の規制・制度の分析
東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻 2014年9月26日 博士(工学) (博工 第8404号)

東京大学学術機関リポジトリ, 論文全文 (.pdf)

審査会発表スライド (.pdf)


-- 論文要旨 --

金融市場では,しばしば,バブルと,その後のアンダーシュート(価格上昇後の反動として,適切な価格水準以下まで急激に価格が下落してしまう現象)によって引き起こされる金融危機や大規模な誤発注による混乱が発生する.例えば,2008年のリーマン・ショックによる金融危機は,実体経済へも大きな打撃を与えた.また,2010年5月に米国市場で発生したフラッシュ・クラッシュは誤発注も原因であると言われており,金融市場全体を大きく混乱させた.また,近年,IT技術を駆使した低コストの取引市場が増加しており,取引市場間のシェア争いが激化している.そして,ダーク・プールという他の投資家に自分の注文を見せる必要がない取引市場が普及してきている.このような取引市場間の競争激化や新しい制度の市場の出現が,金融市場の流動性向上につながっているのか,それもとかえって市場を不安定にしているのか大きな議論となっている.

このような市場混乱や市場の制度変更,新しい取引市場の制度による競争は多くの事例があるわけでなく,実証研究ではこれまでに導入したことがない規制・制度の分析ができない.そのため,当局や取引市場が新しい規制・制度を策定するときの議論は,仮説検証型の分析に基づかない定性的な議論のみが延々となされる場合が多く,導入した後に副作用を発見し導入したものを廃止するといったことが繰り返される場合もあった.

このような市場混乱や市場の制度変更を分析する方法として,コンピュータ上で仮想的に金融市場を作り出す人工市場シミュレーションが有効である.しかし上記のような実務上議論となっている具体的な規制・制度を,人工市場シミュレーションを用いて議論されたことはほとんどなかった.

そこで本研究では,実際の金融市場で議論されている規制・制度の導入の是非や設計の議論の参考になる人工市場モデルを構築するため,まず,人工市場モデルの設定に関して分析目的に応じて必要となる設定について議論し,そのモデルが分析対象としている現象を記述するのに適切な人工市場モデルを構築した.その上で,アンダーシュートや誤発注によって引き起こされる金融危機による混乱に対応する規制・制度,および,新しい取引市場の制度がもたらす影響を議論し,十分可能性がある市場価格形成の様子および考えられる規制・制度の効果を提示した.

株式は市場で取引されている価格(市場価格)とは別に,株式を発行する企業自体が持っている実態の価値にもとづいた価格(ファンダメンタル価格)が存在すると考えられている.平常時に相当するファンダメンタル価格が一定の場合と,バブル崩壊時に相当するファンダメンタル価格が急落した場合について,実際の市場で持ち入れられる複数種類の取引規制(値幅制限,完全空売り規制,アップティック・ルール)の効果を検討し,規制がない場合にバブル崩壊がおこるとファンダメンタル価格よりもさらに価格が下落するというアンダーシュートが発生することが分かった.一方,規制がある場合はアンダーシュートが発生せず市場の効率性が高まることが分かった.しかし,完全空売り規制とアップティック・ルールは平常時に,割高な価格でしか取引されないという副作用をもっていることが分かった.さらに,最適な値幅制限のパラメータを議論し,アンダーシュートを防ぎつつ,なるべく早くファンダメンタル価格に到達させる値幅制限のパラメータ条件式を導いた.また,誤発注時の値幅制限の効果を分析した結果,誤発注が続く期間より短い期間の騰落率を制限する値幅制限が有効であることが分かった.

2つの取引市場が存在する場合もモデル化し,呼び値の刻み(注文価格の最小単位)が異なる2つの取引市場がある場合に,どのような条件の場合に売買シェアが移り変わるのか調べ,大きすぎる呼び値の刻みは価格形成に弊害があり,売買が他の市場へ移ることを示した.また,1つのリット市場(注文情報が公開されている通常の市場)と1つのダーク・プールが存在するモデルを構築し,ダーク・プールの普及が市場を安定化させるのかどうか調べた.ある程度までの普及であれば,ダーク・プールは市場を安定化させ,マーケット・インパクト(大量の売買を行う投資家が自らの大量の売買注文によって市場価格を変動させてしまうこと)を低減させる効果をもつことが示唆されたが,普及しすぎた場合にはさまざまな悪影響があることが示唆された.

本研究が分析を行った金融市場の規制・制度のうち,実際に変更が行われた事例として,金融庁は2013年3月7日に,価格形成への副作用があると指摘した空売り規制を緩和することを発表し,東京証券取引所は2013年3月26日に,価格形成に弊害があると指摘した大きな呼び値の刻みを段階的に細かくすることを発表した. このように現実の金融市場で議論されて実際に変更が行われた規制・制度について,本研究では人工市場シミュレーションを用いて分析した.