09年秋 : インド 〜 世界を大まかに理解するのに必要な最後の旅 〜
そういえば、織田信長は仏教は好きでなく、
キリスト教が好きだった。
日本には昔から神道や仏教が混ざり合って存在した。
「神さま、仏さま」という何気ない言葉にも、一人の人間が、
二つの宗教の神をあがめているということを示している。
いや、それはちょっと違う、どちらにもあまりのめりこんでいない、
と言ったほうがいいかもしれない。
織田信長は仏教徒を迫害したようだが、
別に生まれたときからキリスト教だったわけではないし、
どうも、完全なキリスト教信者になったわけでもなさそうだ。
私が旅をしてきて、なかなか日本という国の説明が難しく、
外国人から「神秘な国」として捉えられてしまう理由は、
まさに、このあたりの「のめりこまない宗教観」は
「特定宗教にのめりこんでいる人たち」には根本的に理解できない
からではないかと思ってしまう。
彼らには、正月は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式には坊さんが来る、
ということが全く理解できないだろうし、これを説明するのは極めて困難である。
そして我々日本人がなかなか宗教戦争を理解できないのも
根本的に「特定宗教にのめりこむ」というのが理解できないんだと思う。
付け加えるならば、人種対立型の戦争も、多くの日本人は
根本的に理解できない。
戦争の多くが宗教対立や人種対立から来ていることを考えると、
だからこそ、日本人にしか出来ない世界平和に向けた活動が
あるんじゃないかと思う。
宗教対立、人種対立、これらが必要になった背景には、
大まかに言えば、社会を維持するために極めて極端な格差社会が
必要だったからだと思う。
人類の進化に必要なものは、大げさに言えば、2つしかない。
・ 科学技術の進化
・ 社会システムの進化
科学技術が未熟だった中世では、社会システムを構築し維持する人たち(国王とか官僚とか)は、
例えば、移動するには徒歩ではやってられないので馬車や人力車が必要になる。
馬の管理をする人も護衛もいっぱい必要だし、移動するだけでいっぱい人を雇う必要がある。
狩や畑仕事もやってられないし、食事を作るにしても多くの料理人を
私的に抱えなければならず、莫大な収入がないと、
社会システムを構築・維持する職業に専念できない。
逆に言えば、馬車の管理とか畑仕事など人手がかかる仕事のコストは、
つまり給与は圧倒的に安くないと社会自体がやっていけないことになる。
しかし、科学技術の進化により、自動車などの移動手段が増え、
農業も機械化され少人数で出来るようになり、私的に人をやとう必要性も減っていき、
格差が少なくても社会が成り立っていくようになる。
これは科学技術の進化が必要ではあるが十分ではなく、
社会システムの進化により、人々の役割分担が高度になっていく必要もある。
食べ物を作る人たちはそれに専念し、少ない人数で大量の食料を作ることにより、
食べ物を作る人たちの給与が高くても社会がやっていけるようになる。
これまで国王とか官僚とかは自前で警備員や兵隊を雇っていたのも
警察や軍隊といった専門集団を皆で共有する社会システムが出来ることにより、
警備する人が警備される側よりも少ない人数で出来るようになり、
警備する人の給与とされる側の給与の格差がなくてもやっていけるようになるのだ。
社会システムの進化が伴って、科学技術が正しく使われることにより、
人類は進化していく。
もっと言えば、科学技術と社会システムの両方の進化が、社会の効率性を上げ、
それこそが人類の進化なのだ。
人種対立、宗教対立は、科学技術が未熟だった時代に必要だった格差を生み出すために、
必要なものだったんだと思う。つまり、他人種や異教徒を奴隷にしたりて、
階級ピラミッドの下のほうに押しやった。
多くの差別社会において、ピラミッドの底辺は他人種が多い。
それはもともとは異教徒だったが、ピラミッドの頂点の人たちが
自分達の宗教を押し付けて、見た目上、同教徒になった場合が多い。
そう考えるとピラミッドの底辺を自分達はやりたくない、
そこを(多くの場合異教徒である)異人種にやらせてしまおう、
そのために侵略をしよう、となるケースが多かったのではないかと思う。
これが戦争が絶えない理由だった。
さて、日本はといえば、明治時代以前は、
島国だったこともあり、異なる人種を支配したり、異なる人種から支配されたりという経験は
他の大陸国に比べて多くなかった。
それどころか、異教徒であったはずの仏教が、ものすごく大きな侵略があったわけでもなく、
神教を迫害することなく、自然と混ざっていった。
儒教なんかも、自然に溶け込まれていった感がある。
ましてや、織田信長は争うどころか、自らキリスト教を学びに行った感すらある。
特定宗教にのめりこまない、ある意味、異教徒との無駄な争いを起こさない、
そのための知恵であったように、感じてしまう。
では、ピラミッドの底辺作りをどうやってやったかといえば、
いわいる、士農工商に続く層を、同人種内で作り上げたのだ。
内部でまかなったわけであるが、内部の差別的対立は増したものの、
外部との緩やかな融合をすることが出来た。
私は、このような日本の性質をインドに来てやっと気づくことが出来た。
インドは、あのガンジーのイメージがあるからかも知れないが、
大きな戦争をしたというイメージが、現在のカシミール紛争以外に、ない。
確かにイギリスに侵略はされた。しかし、独立化は武力によらなかった。
インドのカースト制度は基本的に、同一人種内で構築された。
しかし、この地を長く支配したムガール帝国は、もともとイスラム教徒の
侵略者ハズだったのが、ヒンドゥー教徒うまく交じり合った。
それどころか、キリスト教もうまく取り入れ、その証拠に、
ここの国王は、自分はイスラム教徒なのに、ヒンドゥー教徒や
キリスト教徒と、改宗させることなく結婚している。
これは恐らく、ヒンドゥー教内部に、カーストというピラミッド形成を
あらかじめ作っておいたため、人種間や宗教間でピラミッドを構成する必要性が
生じなかったからであろう。
まさに、内部に差別的対立を作る代わりに、
外部とは仲良くやっていこうとする、日本と似たような構造がうっすらと見えた気がするのだ。
日本は平和な国に見える。外部と仲良くやっていくすべを世界一持っているといっても過言ではないと思う。
それはまさに、私が旅をしてきて、日本人というだけで、どこの国の人とも仲良く出来た、経験から、そう思うのだ。
しかし、その代償として、内部に残された、非常に分かりにくい、
なんとも表現しづらい階級社会は、まだまだ残っているし、
取り除いていく努力をしていかなければならないということを、今回、初めて気づいた。
インドはまさに、日本のこのような構造が、端的に現れている数少ない国なのだと思う。
だから、私は、インドに来て始めて、日本のこの構造が理解できた。
人類は、科学技術の進化と、社会システムの改善により、
内部の格差も、外部との格差も、その必要性を減らすことが出来る。
そしてそれにより、戦争の必要性を減らすことが出来るのだ。
これこそが、人類共通の目的ではないだろうか。
前置きが長くなってしまった。
インドには、家内と二人で行った。
ひとりならともかく、この広大なインドで、
家内を連れて行く自信はなかったため、
私は完全パッケージツアーに初めて参加することになった。
このツアーは我々に専属ガイドがつくタイプだったため、
私、家内、ガイドの3人で旅行しているような感じだった。
デリーを簡単に観光した後、ベナレスに行き、ガンジス川に行った。
ここで、夜行われるヒンドゥー教の儀式と、翌朝早朝に沐浴を見に行った。
儀式はえらくにぎやかで、他の宗教のような異教徒から見ての
「怖さ」みたいなのはなかった。ぜんぜん、厳粛な感じがしないのだ。
沐浴もしかりで、異教徒の私がそれを船から見ていても、
なんの恐怖感も疎外感も感じなかった。
他の宗教の儀式は、少なからず、恐怖感や疎外感を感じるものが多かった。
これも、ヒンドゥー教の、異教徒と争いを避けられた、要因のひとつなのかもしれない。
その後、長距離列車に乗って、タージマハルがあるアーグラに向かった。
この長距離列車、7時間くらいで着く予定だったが、結局10時間近くかかった。
発展途上国では良くある話だ。ただ、異常な金持ちと、異常に貧しい人と、いることが分かった。
窓から見える景色は、良くある発展途上国の景色と、
それにしてもひどいスラム街と、こぎれいな町並みが、
交代交代に目に入ってくる。
高速道路もそうだった。日本人もなかなか買えない高級車から、
時速30kmくらいまでしか出ないおんぼろなトラックから、ラクダまでゴチャゴチャだった。
着ているものも全然違う。靴も、はだしの人から高級ブーツの人まで。
同一人種内で、同一宗教内で、ここまで差がある景色は見たことがなかった。
ちなみにガイドは、最高階級のバラモンだった。
当然のごとく大学院まで卒業し、一族は大地主。仕事は趣味でやっているようだった。
我々よりもいい身なりで、車の話は欧州系の高級スポーツカーの話で、話が合わないことも多かった。
が、彼が連れて行くところどころであう、殆どの人たちは、恐らく小学校も卒業せず、
幼いころから働かされているのだ。絶対逆転しない、そんな階級社会を見せ付けられた。
タージマハルは、予想以上のすごさで、鳥肌が立った。
しかし、もっと鳥肌が立ったのは、その台の上、広場に立ったときだ。
6年前の記憶がよみがえった。そう、エルサレムの岩のドームである。
この広場、岩のドームの広場と、極めて似ていた。
ただ、あの恐怖感は全くない。なにか安心感さえあった。
そういえば、ここへ入ってくるときの手荷物検査の厳重さも、
やってること自体は似ていた。しかし、岩のドームのときのような怖さはなかった。
似たような形の広場であっても、似たような厳戒態勢であっても、
対立の空気と、平和の空気と、、、、流れている空気がまるで違った。
アーグラやジャイプールでは、ムガール帝国の宮殿とか城とかを見た。
そこには、異教徒同士が住んでいたことをあらわすものが多くあった。
仏教の蓮、ヒンドゥー教の寺院の形、キリスト教の十字架、イスラム教のモスクや八角形、、これらが、
イスラム教の帝国であるムガール帝国の宮殿内にあった。
5泊7日というスケジュールの中で、4都市をまわり、
半分以上が移動時間という大変な旅だったうえ、
家内は、食事もあわず、つかれきっている様子であった。
だけれども、家内は、ホテルではインターネットでカースト制度を
一生懸命調べたりと、日本にいるときには考えられないくらい、
この社会について知ろうとしていた。
旅は人を変える。確かに私は大まかには世界を見終わった気分だ。
しかし、周りの人たちに世界を知ってもらうためにも、
色々連れて行ってあげるということは続けるべきなのかもしれない。
そして、もうひとつ。学んだことを人類の進化のために使っていく。
よりよい世界をデザインするために、これからやるベキことが沢山あるのだ。